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機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 13話

ブルワーズとの戦闘は終わった。敵と味方にわかれた兄弟の悲劇や、同じ境遇であることから温情をかけたことで犠牲を出してしまうなど、鉄華団にとっても後味の悪い結果となった。これが現実と受け止めるオルガだったが、メリビットは死んでいった子たちや仲間の死を受け入れることの出来ない子たちのためにも葬儀を行ってはと提案する。名瀬の口添えもあり、オルガは不本意ながらしたことのない葬儀を行うことにする。

今回は戦場における様々な死の形、去りゆく者と残された者、様々な立場から、各々の死生観や倫理観にフォーカスする回だった。前回即死と思われた昌弘が瀕死ながら生きていて、昌弘と言葉をかわすことが出来たのは救いであったけども、救いといえばそれだけで、昌弘はついに自身の今生に希望を見出すことなく、目の前に居る兄に今生への未練が芽生えることもなく、仲間が語った真意の不確かな「生まれ変わりの宗教観」に希望を抱いて逝ってしまう。宇宙のゴミとして壮絶な人生を歩んだ者の、その壮絶さとその心情に誠実な勇気ある描写だったし、それだけで終わらず昭宏が、「生まれ変わっても戻ってくるんだ、俺達の家に!」と、苦難の末に手に入れた居場所、「俺達の家」の希望は欺瞞なんかではない、守っていく価値のあるものだと、昭宏自身が自信を持って示したことも重要で、これは本作品がそこに価値を見出しているんだとも受け取れた。宇宙ゴミのリアルを描きつつ、希望も見失わない、そのことにホッとしている。

白兵戦ではブルワーズの少年兵たちにシノが温情をかけたばかりに、隙をついて仲間を殺られてしまう、現実でも多々起きている戦場でのすれ違いの悲劇を正直に描いてきた。その一方でオルガが、捕虜の少年兵たちを説得し鉄華団に迎え入れることで、シノの苦悩を憎しみの連鎖へとつなげるような展開を上手く牽制した。そういう展開になったって不思議ではないんだけども、本作品が「戦場のリアル」を描くのでなく、「虐げられる子どもたちが居場所を得るための物語」を描いていくんだということだと解釈できるし、そのことが凄く嬉しい。ブレがない。

所変わってギャラルホルンのマクギリスは、許嫁のアルミリアとのパーティーに出席。ここでは9歳のアルミリアを、周囲の大人たちが政略結婚の道化のように影で囁きあざ笑う。マクギリスの側には豊満で成熟した女性たちが群がり、そのなかでいたたまれなくなったアルミリアは会場を飛び出し涙する。何不自由なく見える子にも、大人たちにいいように振り回されるブルースがあり、小さい背中が震える様子が涙を誘う。そんなアルミリアの悲しみに、一片の曇りなく真摯に寄り添うマクギリスの、会場に目を向けた時に見せた強烈な憎悪・殺意…。アルテイシアに寄り添うシャアの姿のように見えて、背筋の凍る思いがした。こちら方面でも骨太のドラマが展開しそうで身震いする。

葬儀とは無縁の世界で生きてきたオルガの個人的な美学を、メリビットがあしらう様子も味わい深い。メリビットは登場時から、オルガの美学をことごとく批判、論破してくる。堅物のオルガは、メリビットがいなければ、後々鉄華団に大きな亀裂を生じさせたのかもしれない。テイワズ本拠地から同行した敵か味方かミステリアスなメリビット、彼女はおそらくフミタンの不穏さから目をそらさせるためのキャラであり、本来の役割は鉄華団一家の母であろうと予想。もちろん頑固親父はオルガだ。ふたりが縁あって結ばれることとなれば、オルガを尻に敷いたメリビットが一家を上手く支えていくだろう。そういう救いのある展開を期待したいところ。

葬儀が始まれば、ヤマギの計らいで礼砲弾に花火の細工。決して散らないはずの鉄華団において、散っていった仲間たちを皮肉めいて象徴する花火を、面々にきちんと感慨を持たせ描写する細やかな気配りがまた嬉しい。初めての花火にときめけば、それが象徴する悲しみを汲みとって涙する子たち、死者を強く意識するようになって亡き者の前で格好をつけてみせる者…。神のない世界を生きてきた子たちの間に神の国が生まれた印象的な瞬間でもあった。

葬儀から泣き止まない子がいて困ってるというときに、おいで!と両手を広げるアトラをスルーし、クーデリアには言及すらせず、フミタンの懐に飛び込む子ども…あらーわかってるねえ(目細)フミタンは裏切らない!フミタンはママの味!

(自粛)

小さいころに死ぬってなんだろうと考えて、頭がくらくらして、目を閉じるのも怖くなって、泣いたこともあったっけ…そんなことを思い出す、切なくも微笑ましいシーンだった。

死を思う空気が醸成される中で、アミダと濃厚な口吻を交わし、生の欲求を性の欲求へと転化する名瀬。その様子を見た三日月のその後の様子も興味深い。直前にグダルと戦った際、「人殺しを楽しんでいるのか!」と言われ、はじめてそのことに頓着したような三日月。グダルにそう言われるまでは、そんなこと考えたこともなかったのだろう。グダルを「死んでもいい奴」としたが、三日月にとって仲間以外は全てそうだったのだろう。昌弘だって、事情はわかったが必要ならば殺るというくらいだから、彼の中には人を殺すことへの宗教的・倫理的線引は無かったと言っていいだろう。そんな三日月が、グダルの言葉でふと「人殺し」について意識するようになり、そんな時に葬式があって、死んだ仲間を思い涙する者たちに、自分が「死んでもいい奴」と思った者にも死を惜しむものが居るのだろうか…とか、花火を見て人の生について少ない語彙であれこれ思考をめぐらしてたのかもしれない。

こみ上げてくる気持ちがなんなのかわかってない時に、名瀬が死の危機から生への欲求が生まれると性を見せつける。もやもやしているところでクーデリアに会い、火星ヤシを分けてあげようとすると、手の震えを指摘される。三日月自身自覚がないものの、手が震えるほどの何かがこれまでの出来事によって湧き上がりつつある。そんな三日月にフミタンの真似をしてハグするクーデリア。何かを言いかけた三日月が、でも言葉が出てこなくて、クーデリアにキスをする。「可愛いなと思ったから」三日月はそう言うけど、その後興味の矛先を変えたように見える三日月の様子から、本当は名瀬の真似をすれば、名瀬の知っている「生」の秘密がわかるのでは、と思ったのではないだろうか。そして結局わからなかったのでしょう。クーデリアに尋ねようとして、でもどう言えば良いのかわからなくて言葉を飲んだ、胸のつかえの理由、手の震えの理由。三日月の中にも神が宿ろうとしている。

語りたくなることの多い、示唆に富んだ濃密なエピソードでした。南無…。