アニメられる日々

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昭和元禄落語心中 総感

服役中に慰問に来た八代目友楽亭八雲の演じる「死神」に惚れ込み、出所後すぐに八雲の寄席に押しかけ弟子入り志願、ともかく転がり込むことに成功したチンピラは与太郎の名をもらうが、稽古は付けさせてもらえない。八雲の養女で二代目友楽亭助六の娘である小夏を通じて助六の落語を勉強するが、助六と何かしら因縁があり小夏とのわだかまりを持つ八雲はそれを快く思っていない様子。ある日、与太郎は八雲の演目中、舞台裏で大いびきをかいて寝たことで八雲の怒りを買い、破門にされてしまった。諦めきれず家の前で座り込んでるところを小夏に促されて、八雲に今一度想いを伝える与太郎。八雲は破門を取りやめる代わりに3つ条件をつけた。二ツ目に昇進するまでに八雲と助六の落語を完全に身につけること、落語の未来を共に背負うこと、八雲より先に死なないこと。この約束の意味を、八雲は自身と助六との半生の物語として与太郎と小夏に語り始める。

 

 務所帰りの調子のいい男が落語家・八雲の気まぐれで落語界に飛び込む、芸能界サクセス・ストーリーかと思いきや、ドロドロと濃厚で熱々の溶岩のようだったり、体の芯から凍り付きそうな、寒暖の差凄まじい人間ドラマとなった。八雲と小夏のわだかまりに二代目助六の影があり、1話めでは何事か知れないのだけど、八雲と小夏の互いの意地のぶつけあいの凄まじさが、ただ事ではない事情を想像させる。それは単なる諍いというものではなく、複雑な、それも口にもしたくないほどの悲しい深刻さを秘めているのだろう、激しく渦巻く感情の変化を表現するキャラの表情表現や仕草であったり、声優陣の渾身の演技がそう思わせてくれた。特に小夏役の小林ゆうさんの演技は圧巻で、感情が高ぶるとハスキーになる声質は聴く者の心も揺さぶってくる。

与太郎が八雲の弟子として精進していこうという時に、助六の影が八雲にまとわりついてくる。小夏に至っては八雲は父の仇ときた。八雲は一体何がしたいんだ、という状況に一見見えるけども、与太郎がくるまで八雲と小夏の時は止まったままだったのでしょう。そこに与太郎が飛び込んできて、助六の影がちらついたもんだから気まぐれで家に上げた。小夏もまた、与太郎助六を見出して、内に押し殺していたもの…助六の落語を絶やしたくないという想いを与太郎には見せてみる。八雲も小夏も、止まった時の中で、変化を望んでいたのかもしれない。でもふたりとも意地っ張りで、八雲は助六への、小夏は八雲への対抗心を見せるからこじれる。八雲と小夏、それぞれの意地の中で、助六の粗相が裏目に出て破門となった。家に上げて飼ってやりたいほど興味を隠せないのに、追い出したいほど憎たらしい、八雲が助六に抱える複雑な心境。

小夏は小夏で、母の旧友に両親の死の真相を聞きたがる。ただの事故でやましいことなど何もない…本当にそうなのか確証がほしい。父の仇と思っている男が、ほんとうのところどうなのか知って、自分も前に進みたいと思っている。八雲に聞ければ苦労はないのだろうけど、おっさんひねくれてっかっら…コホン、そういうことで、与太郎には自身が前に進むきっかけとして期待するところが大きいのでしょう。自分が男だったら、助六の意志を継げたのに…そう悔し涙を流した小夏が、破門されて家の前でぐずる与太郎に「話しつけてきなよ、男だろ」と促すのも、与太郎に自分の意志、助六の意志を受け継いで欲しいという期待からで、自分がそうなれない悔しさも含まれているのが味わい深い。

八雲は与太郎が本当に助六の生き写しなら、戻ってくると思っていたのかもしれない。そして戻ってきた。しかもこの期に及んで助六への興味を隠さない。なら、果たせなかった助六との約束を、この与太郎と結んでやろうじゃないか、とそう思ったのだろうか。ここからその約束の由来を、八雲が助六との半生から語り始めるところまでが1話めなのだけども、1話めにこれほどだらだらと文字を重ねたのは、本作を全部観終えたあとに1話めを見ると、なるほどここが本作のもう一つのクライマックスなのだ、と思えたから。初見では覚えなかった感慨が、改めて見返すと万感の思いとなってこみ上げてくる。

望まず落語の世界に入った者と自ら落語の世界に飛び込んだ者、努力で開眼した者と才能のある者、期待されなかった者と期待された者が、しかしいがみ合うことなくそれぞれが良きライバルとして高め合い認め合い、落語の将来をそれぞれ自分にあったやり方、違うアプローチで盛り上げようと誓ったが、ある時から立場が逆転し、一方は出世して一方は転落する。二人の間には一人の女性がいて、言い寄ってくる男に身体を売って生きてきたその女性は、おそらく初めて自ら一人の男に激しい恋をして、そしておそらく初めて振られてしまい、落語に捨てられた男と傷心を慰め合った結果、身籠って結ばれ一児の母となったものの、愛した男が忘れられずに家庭を顧みなかった結果、落語を背負って立つはずだった、落語に捨てられた男と心中する形で生涯を終えてしまう。

あの時ああしていれば、この時こうしていれば…そういった後悔ばかりが押し寄せる事故が、人生のままならなさを痛感させる一方で、そのままならない人生の中で、通い合った心、輝いたひととき、そういった諸々の良さ、意味を肯定するために、小夏がいて、八雲が生き抜いて、与太郎がやって来た。凋落する落語界を背負った八雲が、自身の人生とともに心中しようというところにやって来た与太郎は、やはり助六の生き写しなのだろう。小夏が女性として生まれたのは、みよ吉が得られなかった幸せを得、小夏がみよ吉とも和解するためのお天道さまの粋なはからいなのかもしれない。そう思える素晴らしい一区切り。落語の未来と縁を面々と紡ぐ人々に期待と希望を託して終えた、素晴らしい一区切りでした。続編も楽しみですね。