アニメられる日々

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話数単位で選ぶ2017年TVアニメ10選

 

メイドインアビス 13話「挑む者たち」(最終回)

巨大な深穴「アビス」の未知の領域・深界の奥底を目指し多くの探窟家が冒険する世界で、謎のロボット・レグとともに探窟家である母を探しにアビスに挑む少女リコ。この未知の深穴「アビス」には、「上昇負荷」、または「アビスの呪い」という、深度に応じて人体に及ぼされる影響・リスクがあります。底に向かって降りる分には人体に危険はありませんが、上に登る・上昇する際に、震度に応じて人体に負荷がかかるというもので、深度が深くなるほどそのリスクは高くなり、めまいや吐き気など軽度の症状から、身体や精神の機能を著しく損ねる深度を経て、即死に至る深度もあるそうです。これが本作の最大の特徴で、ドラマを生む装置であります。

リコとレグが深界の第4層で出会った、人のような獣のような姿をしたナナチには、人とも獣ともつかぬ異形の同居人ミーティが居ました。ふたりはボンドルドという人物に誘われ集められた子どもたちの中で知り合い、親しくなりましたが、ボンドルドの目的は上昇負荷の人体実験であり、それによってナナチとミーティを含む子どもたちは人ならざるもの、「成れ果て」となってしまいます。ミーティはナナチをかばったために知性と体の形が崩壊した一方で不死の体を得ることとなり、そのことでさらにボンドルドの実験体として苦痛を味わわせられる事になります。ミーティのおかげで知性と身体機能を留めることができたナナチは、ミーティを連れてボンドルドの元から逃げ出します。

知性も身体機能も失い、世話する者もいなくなった場合、死ぬこともできないミーティはどうなるのか…そう考えたナナチは、自分が生きているうちにミーティを死なせて楽にさせようと、あらゆる手段でミーティを殺そうとしますが、どれも上手く行かず、かえって彼女を苦しめてしまうことに心を痛めていました。

そんなときに出会ったリコとレグのうち、レグには「火葬砲」という、強力な熱線を放つ武器がありました。それを知ったナナチは、レグにミーティを殺してほしいとお願いします。一度は断ったものの、ナナチとミーティの経緯を聞かされたレグは協力することに決めました。

広場に敷かれたシーツの上で、可愛らしい縫いぐるみに囲まれて、最後の時を知ってか知らずか待つミーティ、そしてレグが火葬砲の用意に入り、いよいよという時に待ったをかけるナナチ。覚悟を決めたはずなのに、いざという時に気づく未練、積年の想い、そういったものが溢れ出すナナチの様子に、観てるこちらも涙が溢れて大変でした。そしてとうとう腹が決まるナナチと、それに応えるレグ、うなる火葬砲…。今まで放たれたどの火葬砲よりも強大に見えたからこそ、より胸に迫るものがありました。

1話めと最終回は良くて当たり前、みたいなところがありますが、本作の場合はそれでも推さざるを得ない、強烈に悲しいエピソードでした。

ナナチが作るまずい料理とボンドルドの実験の犠牲が掛かってるのもなんとも憎いですね。リコの作った美味しい料理にナナチが涙したのは、単に美味しかったからだけではないはずです。

 

 

宝石の国 8話「アンタークチサイト」

遠い遠い未来、ヒトが「骨」と「肉」と「魂」に別れ、「魂」である月人と「骨」である宝石たちが争う世界。そんな世界で、その身の脆さ故に月人と戦うことを認められていない宝石・フォスフォフィライトが、役に立ちたい、変わりたいと思うところから物語が始まります。

身の丈を超えて変わりたいと願ったフォスの背伸びは、ときに仲間を、ときに自身を危険に晒します。4話では両足を失って代わりの貝殻が自身の新しい両足となり、そのことで俊足を得て念願の戦闘に参加することが出来たものの、戦闘時に怯えて動けなくなったことでアメシストを危険に晒しました。

冬眠の時期になると、冬眠をせずにアンタークチサイトと冬期の見回りに同行することにしたフォス。これも背伸びの一環ですが、これによって今度は両手を失ってしまいます。8話はその両腕を失ったところから始まります。

宝石たちの生誕地『緒の浜』にてフォスの両腕の代わりを探すアンタークとフォスでしたが、とりあえず金(きん)を両腕に仮留めしたところで月人が出現。金の重さに身動きの取れないフォスを尻目に月人を撃退してみせたアンタークでしたが、その後身動きの取れないフォスをどうにかしようとしている背後を再来した月人に襲われ、破壊されてしまいます。破壊したアンタークを持ち去ろうとする月人を、重い金に四苦八苦しながらなんとか捉えようとしますが、必死の追走も虚しく月人に逃げられてしまいます。

駆けつけた金剛先生の腕に抱かれるフォスですが、ここに至っても自責の念を述べ遠い空を眺める金剛先生、それを見つめるフォスの、ひびだらけの顔に浮かぶ悲しみや不甲斐なさとが入り混じった表情が胸に刺さりました。

ただ変わりたいと願ったフォスが、たしかに変わっていくもののその都度何かを失っていき、その度に自身の至らなさを思い知らされるところや、状況が誰かの落ち度でなく不幸な事故であるだけに責任さえ取らせてもらえない、われわれ人間とは違って自身の役割を果たすという以外に自身の生の意味や目標を持ち得ない宝石だからこそ、自身の役割を果たせないだけでなく、責任も取らせてもらえないというのは相当なショックであったと思います。人の生の意味や意義に焦点を当てた本作の、当エピソードはひとつのピークといっていいでしょう。シンプルであるがゆえに悲しみが直に伝わってきます。

 

 

Just Because! 1話「On your marks!」

弱気な自分を奮い立たせるための、おまじないのようなもの…相馬と泉の投打対決は、取り立てて特別なことでもない、男子学生のよくあるかもしれない日常のワンシーンに過ぎないはずのものでした。

元野球部で森川さんが好きな相馬、彼と同じ中学で別の高校に進学したが同じ学校に転入してきた泉、廃部寸前の写真部員小宮、吹奏楽部の森川さん、受験勉強中で相馬や泉と同じ中学で相馬が好きな夏目…それぞれがそれぞれの時間を過ごしながら、元野球部相馬と謎の転校生泉との投打対決を目撃することで、二人の青春のイニシエーションに巻き込まれ、それらが一つのドラマとなります。

なんでもないような日々からドラマが生まれる瞬間、平凡の非凡さを鮮やかに表現し、今後も何でもない日々からドラマを演出してくれるだろうという期待を高めてくれました。作劇のお手本と言ってもいいくらいの鮮やかなエピソードでした。

 

 

プリンセス・プリンシパル 9話(case11)「Pell-mell-Duel」

アンジェとプリンセス、ドロシーとアンジェ、プリンセスとベアトリス…と強い縁で結ばれた相関関係のなかで、ちせだけは余所者・新参者、ベアトと同部屋というだけ、皆との付き合いが極めて浅いことが5話(case7)で明らかになりました。命をかけるに値する者に仕える身として、敵対する者は誰であろうと討ち果たす…武士道を体現するちせの強さを立ち回りで表現した、5話(case7)での江畑諒真さんの仕事は素晴らしいものでした。

ちせ大好き人間のひとりとしては悩みどころでしたが、僕は9話(case11)を選びました。英国にやってきたちせが異国での生活を遠方の姉上に手紙で伝える、という趣の当エピソードでは、「外国人が誤解しがちな日本」を逆手に取ったネタの数々が愉快でしたが、男子生徒のちせへの差別から、決闘をするに至ったシーンでの、細工を施された銃器で相手を打ち負かすちせの冷静な判断から行動に移るまでのテンポが見事で、タイをシュルンと解いてから行動に移すまでの僅かな時間、そのスピード感、ちせの迷いの無さ・行動力・決断力…強さが見事に表現できていました。武器を手に取るまでの僅かな時間の中にこそ、彼女の強さの芯があるように思いました。

余所者・新参者であるちせが、この一件を経て皆と関係を深めていくのもまた良かったし、そういうところにも「外国人が誤解しがちな日本」を逆手に取ったネタを持ってくるのが良いですね。相撲の真似事をする皆を描くにあたって、行事の格好をしててもだらんと姿勢や着こなしが乱れてたり、内股で四股を踏む様子がなんともライブ感があって良かったです。

 

 

NEW GAME!! 11話「心になにか抱えてるのか」

可愛らしいキャラデザのコメディを基調にしつつ、ゲーム制作会社で働く人々に焦点を当てたお仕事モノとしてのシリアスな側面も持った作品の2期作で、1期はゲーム業界あるあるが中心でしたが、2期は個々の成長を描こうというドラマとしての色が濃くなっていて、僕は2期のほうが好きです。

さて、2期ではアルバイトとして再びイーグルジャンプで働くことになったねねっちに、研修生としてももとなるが加わったのですが、ゲームに対しての熱意の違いから、ねねっちとなるはちょっとした衝突から関係が悪化します。当エピソードもまた、ねねっちに対してなるが仕事のできるところを見せつけようとし、いたたまれなくなったねねっちが食堂に逃げるところから始まります。そこでももと居合わせたねねっちは、ももからなるの引くに引けない、親の反対を押し切ってゲーム業界に飛び込んできた事情を知ります。

ねねっちが持ち場に戻ったところ、なるの仕事から多くのミス(バグ)が見つかって騒ぎになっているところでした。もはやこれまで…と落ち込むなるでしたが、ねねっちはなんとか挽回しようとなるを励まします。ミスをしたなるに協力を惜しまないねねっちに対して、私の事嫌いじゃないの?これまでさんざん酷いこと言ってきたのに…となる。ここでのねねっちの「嫌いだったよ!」の語気と表情が選出の決め手です。

本作の魅力は、忌憚のない気持ちのぶつかり合いが生むドラマにあると思っていて、このシーンはそれが一番良く出ていました。それがあるから、その後に続く「嫌いだったけど、なんでそういうことしたのか、その事情がわかってしまったら応援したくなった」という言葉も重みが増すわけですね。ねねっち、好きだー(本音)

 

 

サクラクエスト 22話「新月ルミナリエ

間野山という過疎化の進む田舎に、いろいろな事情を抱えて集まった5人の女性が観光協会の町おこしに協力することになるという、地方の諸問題を扱った本作品は、主役の5人のうち、間野山から出ずにずっと暮らしてるのがふたり、間野山から都会へ出たものの夢破れて間野山に戻ってきた者がひとり、他の田舎から都会に出たが縁あって間野山に招かれた者がひとり、都会から訳あって間野山にIターンしてきた者がひとりと、間野山という田舎に暮らす者だけでなく、地方と都市の関係と諸問題を考える上で様々な立場からの視点が用意されているのが特徴です。これは本作品を手掛けたアニメ製作会社P.A.WORKSが首都圏でなく富山県に本拠地を置くに至った経緯を考えると、なるほどP.A.WORKSならではの視点だと思えるのですが、P.A.WORKSの経緯については割愛致します。

ピーエーワークス - Wikipedia

さて、22話は、間野山で喫茶店『Angelica』を経営する鈴木家の長女・中学2年生のエリカが、かねてからこじらせていた都会に出たい熱がいよいよ高まって、母親と衝突した結果家を出て、降雪の中東京までのヒッチハイクを試みているところをしおりさんらに保護される21話に引き続き、家出したエリカが由乃らの宿舎に居候中という状況でスタートします。21話・22話は、寂れて「シャッター街」と成り果てた商店街をいかに再興するかがテーマで、シャッター街の実情に触れながら、こんな街出ていきたいというエリカの心情と、大好きな町がこれ以上寂れていくのは辛いというしおりさんの心情を重ねていきます。

僕はエリカ同様に田舎で生まれ育ち、そして田舎が嫌で嫌で一刻も早く都会に出たいと思っていたので、エリカの気持ちは凄く良く分かりますし、また物怖じすることなく堂々とお気持ちを表明されるところがたまらなく好きです。

そういうわけで21話・22話はとても好きなエピソードで、エリカが駄々をこねる様子の可愛い21話も捨てがたいのですが、気持ちはわかるが中学生で都会でひとりぐらしはいくらなんでも無理がある、経済的にも能力的にも無理だから我慢しなさいという大人たちの正論を、エリカも十分承知の上で、でも待てないんだよォォーッ!!とストレスを吐き出すエリカの様子が最高に可愛い22話を選びました。

大人たちの説得に、最後までNO!!と突っぱねたまま、弟が悲しむならしょうがないなと休戦に応じたというところはエリカらしくて素敵ですし、また素晴らしい作話のセンスでしたね。その後も全く態度の変わらないエリカもまた最高でした。

 

 

リトルウィッチアカデミア 13話「サムハインの魔法」

くじ引きの結果、魔法祭で幽霊「嘆きのバハロワ」の生贄係を務めることになったチームアッコ。魔法祭の日の真夜中に現れるバハロワは、生前は友を失った王女様。悲しみに暮れながら生贄を求めて彷徨い、生贄を食らったところで一年間眠りにつくという性質を持っているが、食べられた生贄はバハロワから排泄されて無事ではあるので、バハロワを鎮める為に毎年数名の生徒が生贄の役を務めることになっている…。

というのが儀式の経緯ですが、アッコはバハロワの生贄という不名誉に憤るでもなく、ロッテやスーシィのように粛々と受け入れるのでもなく、バハロワがなぜ悲しんでいるのか疑問に思うのと同時に、悲しんでるのはかわいそうなので笑わせてあげたい!と行動に移ります。例年行われている儀式であるからそうなってると決まれば行動するかしないかの二択に意識が向きがちですが、そもそもなぜ悲しんでいるの?という着想が僕にはなかったので、横っ面を張られたような衝撃を受けました。また、その着想が彼女の思いやりや優しさから来るもの、というのも素敵ですね。思いやりや優しさからの言動が当たり前のようにできるアッコの魅力が良く出たエピソードでした。

 

 

亜人ちゃんは語りたい 10話「デュラハンは時空を超えて」

本作は差別と相互理解を扱った作品ですが、エンターテインメント作品としてのお楽しみ…本作においてはほんのり色っぽいサービスが随所にあって、そのせいか「男性の卑しい欲求を反映してるにすぎないのに、いい事してる風に描くのが不快」といった批判を多く目にしました。

そういった批判のなかで、当エピソードにおいての高橋先生の「倫理がなんだ、当事者がオッケーならそれでいいじゃねえか」が聞けたのが凄く嬉しかったのです。

「悪いことでも当事者が納得していれば許されるのか」と揚げ足を取ることも容易なのですが、ここは僕は『機動警察パトレイバー』での「偽善のどこがいけないんだ。立派な偽善ができるような立派な大人になりゃいいじゃんか!」と同意とみなしました。

本作はどのエピソードも凄く良いのですが、そういった批判もある上で、人のスケベ心も逃げずに描いてきたんだと確信できたエピソードとして選びました。

 

 

 ひなろじ from Luck & Logic 1話「かわいいヒナには旅をさせろ」

コメディが主体の本作にあって、臓腑をえぐるような重みのあるストーリーはありませんが、コメディとしては強烈なインパクトのあるエピソードでした。

コミカルで愉快な表現、可笑しみを誘うような工夫がいたるところに施されていて、ただ賑やかとか手数が多いといったことでなく、例えば画面右手前から画面左奥へと走り去っていくアニメーションはリアリティとは程遠い、コメディ的誇張に特化した表現で、思わず唸ってしまいました。

本作において、赤城博昭監督コンテ回の1話と7話はずば抜けて良かったのですが、新鮮な驚きがあったという点で1話を選びました。

 

 

Rewrite 21話「再会」

こちらのエピソードの選出はほんと贔屓目で、本作は画の品質が早い段階で崩れたり、駆け足すぎて途中から内容の理解に四苦八苦しましたが、それでもどうしても推したくて選びました。

事故で両親を失った少女・小鳥と数年ぶりに再会した主人公・瑚太郎は、小鳥が死んだはずの両親を「魔物使い」の能力で蘇生させ側においていると知り、激怒します。

死んだ人間は生き返らない、戦いにも参加させない、小鳥の意志は関係ない、俺が認めないと正論でにべもなく詰め寄る瑚太郎ですが、子供に対してそれはあまりにも厳しすぎました。

「なんで…ずっと悲しいことばかりだったのに…どうして優しくしてくれないの!」

「このまま味方もなしに生きろって言うの!?」

ここでの小鳥の訴えがあまりにも不憫で、このシーンを思い出しただけで今でも泣けてしまいます。始まったばかりのまだ短い人生ではあるけども、それでも「ずっと悲しいことばかり」だった人生を生きてきて、「両親のようなもの」で寂しさを紛らわすことすら許されず、これからもひとりで生きていけっていうのは、自活能力がない子供にはあまりにも厳しい状況です。それを訴える小鳥の、理不尽に対する怒りの入り交じった泣き顔と、震える声で精一杯訴える声の演技…小鳥のこの表情と訴えはおそらく一生忘れることができないでしょう。

 

 

 

総感

話数単位10選の難しいところは、総合的にとても良かった作品でも話数単位で評価できるとは限らないというところではありますが、同時に作品単位では埋もれてしまう良エピソードを発見する良い機会でもあると書いていて改めて認識しました。こうして一年を振り返る機会があるのは良いですね。色々と思い出されて楽しかったです。